ジョンソンtsu /吉田省念 /双葉双一
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18時開場/19時開演 2300円/2500円(D別)
☆うちの可愛いおジョンが2ndアルバムをひっさげて
帰ってきますよ。強力な面子。あるようでない初共演。
こんりゃあ愉しみやな。


ジョンソンtsu
生き物のバランスとUFOの探し方を民衆にやさしく伝播するために
極北より渡来したプログレ宣教師。
幼少期より交差法による立体視と四葉のクローバー探しを得意とする。
母国語を駆使して繰り広げられるその歌は変拍子と音数の嵐。
聴衆は、言葉を覚える以前のあの頃を思い出してみな異様な懐かしさを覚えるとか。
シグネイチャー本田師の教えによって、最近すこし日本語を覚えてきたらしい。
2008年『Jyonson tsu LIVE IN JAPAN』発売。(現在廃盤)
2009年、tsuの敬愛する日本のフォークシンガー、双葉双一の主催するイベントに
出演したいがためにカバーアルバム『ジョンソンtsu 双葉双一を唄う』を
勝手に発売し、(現在廃盤)まんまと双葉氏を懐柔。
そして双葉氏のバックバンドとして、サイケデリックロックバンド「やまのめぐみ」結成。後にオリジナルアルバム『山眼組』(現在廃盤)を発売。
遂には双葉氏のアルバム『手に捧げる歌』の中の11分に及ぶ
自伝的大作「イン・ザ・ナイト・マイ・フェスティバル」にギタリストとして参加。
現在『双葉双一を唄う 2』を製作中。
2010年、かねてより親交の深かった吉田省念、マッスルNTT兄弟とともに
逆回転イベント「三者非凡タイム」を立ち上げる。そもそも吉田氏の自宅にて、
遊びで作っていた逆回転ムービーを本格化、
逆回転で演奏するバンド、ザ・タルカスを結成、そして『ザ・タルカス結成秘話』 http://youtu.be/PcKVQ91CJ-0 なるショートムービーを作成。
その上映会と生演奏を行う。 
2011年、ソロ名義の1st音源の再発として『旋律と脆弱』をギューンカセットより発売。
2012年より毎年ヨーロッパツアーに赴きライブを重ね、
スイス、ドイツ、フランス、ベルギーにて絶賛される。
2014年、自主レーベルよりソロ作品『Doppryo Nyo Petye』発売。
日本語のみで録音されたシングル『民族旅館/ごはん』発売。
過去様々なバンドに参加(Otherwiseなおみ、デグルチーニ、カンガルーノート、
ヒトリトビオ、PORT CUSS、イノウラトモエ、ハンバートハンバート、
ワンダフルボーイズ、etc..)
2006年より、tsuの誕生日に、参加中のバンドや新ユニットを含め全バンドに参加し
3時間のライブを行う”ジョンソンまtsuり”を不定期に開催する。
http://jyonsontsu.blog34.fc2.com
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吉田省念
京都出身、在住のミュージシャン 1980年3月14日生まれ・魚座
趣味は釣り、切手集め。初めて買ったLPはTHE BEACH BOYS / SURFIN’ USA。
京都嵯峨美術短期大学では洋画を専攻。 10代からギターをはじめ、
バンドを組んで音楽活動をスタートさせる。
1995年には京都のロックバンド村八分のVocal チャー坊の追悼コンサートに参加。
2000年頃から京都で”すみれ患者”という即興演奏バンドに参加。
ソロ作品では自宅録音にしてイラスト・詩集付きのアルバム「月刊ナイフ」をリリース。
現代美術作家の父・ヨシダミノルと家族で構成された
パフォーマンスグループ”現代家族”での活動もこの頃から始まり、
美術館やギャラリーといったアートスペースにおいても即興演奏を行うようになる。
2004年~2008年 本田未明率いる”SUZMENBA”に在籍。チェロとギターを担当。
アルバム「faint memory」「enitohanicolte」をリリース。
この頃から弾き語りライブが増え、アコースティックグループ”吉田省念と三日月スープ”も結成する。2009年”吉田省念と三日月スープ “アルバム「RELAX」をリリース。
2010年レコーディング・MIX・デザインなどすべてセルフプロデュースのソロ作品「songs」をリリース。 2011年6月~2013年4月 “くるり”に在籍。 ギターとチェロを担当。アルバム「坩堝の電圧」をリリース。 現在は京都・拾得でのマンスリーライブ「黄金の館」を主催、毎月様々なゲストミュージシャンを招き共演する。
ライブ音源をフラッシュメモリに入れて持ち帰る事のできるイベント
「フラッシュメモリー」も主催するなど、既成概念にとらわれない音楽活動を展開中。
www.yoshidashonen.net/
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双葉双一
幼少より詩作をする。小学一年の時に作った「雲」という詩が、地元新聞に掲載。
現存するものとしては「ストリップ小屋の思い出」がある。
他に、「校内球技大会の惨劇」「白鳥さんの成績表を届けた話」
「先生、いじめたのはM.T君です」等。
長渕剛に憧れ、中学時代よりギターを始める。
高校進学後は上級生のビジュアル系バンドで一時期エレキギターを担当していた。
シューゲイザーに興味を持ち、バンドメンバーを3年間探し続けるも徒労に終わる。
同時に大江健三郎やドストエフスキーを読みその作品の節に曲をつけたりする中で、
友部正人ベストセレクション(おしゃべりなカラス等が所収)を聴き 、
フォークミュージックにも関心を向ける。
大学進学で上洛。老舗ライブハウス拾得で毎週開かれる飛び入りライブデーに参加し、
15分の持ち時間の中で、主に高田渡や加川良、遠藤賢司の曲をレパートリーとしていた。
同期出演者に野村麻紀等がいる。やがて拾得のマスターに認められ、
京都のロックバンド騒音寺等と共演するようになる。
尚この時期、オリジナル作品はまだ少なかった模様。
20世紀最後の大晦日の夜、拾得の年越しライブへ出演。
この時、持ち時間を守らなかったため(一説では出演の許可さえ下りていなかった)
以後出演禁止となる。
しかし、この夜の彼のステージを目撃していたマスターの息子であるsunzriver氏が、
東京のプロダ クションに話を持ちかけ、デビューのきっかけを作った。
2001年、1stアルバム「双葉双一に気をつけて」でデビュー。
以後、2002年「春と乙女」、2003年「ママレードパイのかわいい食事」をコンスタントに発表するも、2004年「涙の小鳥」を最後に、病気のため5年間の活動休止を余儀なくされる。
2009年、「手に捧げる歌」により活動再開。
同アルバム収録曲「イン・ザ・ナイト・マイ・フェスティバル」は11分に及ぶ自伝的大作である。
2012年、「現代の神話Ⅰ~modern mystics volume1」、同年12月、Dr.kyOnプロデュースによる「R離棟からの手紙」と、これまで7枚のフルアルバムを発表している。
京都のボブ・ディランと呼ばれることもある。
映画ドント・ルック・バックでボブ・ディランが電球を持ち歩いたことをまね、高校時代の彼は自転車のサイドミラーを持ち歩いたという。友川カズキに憧れを抱いているが、なぜか家入レオをライバル視している。
またこれまで、共犯幻想、続・共犯幻想、人生ゲーム等のバンドを結成したが、いずれも短命に終わっている。
日本フォークミュージック協会会長をつとめる。毎回特定の先輩アーティストをとりあげ、不定期で自宅で勉強会を開いている。ちなみに第一回は下田逸郎、 第二回は谷村新司であった。
www.futabasouichi.com/

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